観世音菩薩示現の真実の物語

――寛如法師修業、出家の由来

法師は中華国際大悲呪水功德会の創立者である。若い頃は仕事ができ過ぎたため、俗に言う「出る杭は打たれる」、職場で恨みや妬みを買い、孤立にさせられた。悩んだあげく、幼い頃実家で観音さまをお供えしたことを思い出したので、目の前に立ちふさがった壁を早く乗り越えられるように、毎朝ベランダで観音さまを拝んだ。

こうして数か月経ったが、ある日朝三時頃、ドアを叩く音が聞こえたので、ドアを開けてみたら、なんと一人の面識のない僧侶だった。当時は外に大雨が降っていたのに、僧侶の袈裟が濡れていなかった。

「ご用を伺ってもいいですか?お上人様のことは存じませんが」ど寛如法師が聞いた。僧侶は「あなたのことは存じ上げますよ」と答えた。すると、「ご法号はなんと呼べばよろしいですか?何のためいらっしゃいましたか?」と聞いた。僧侶は「あなたのために参りました。法号なんてありません。師父で結構です」と答えた。そして寛如法師は目の前にいる僧侶がきっと観音さまの権現だと分かった。

 

どころで、僧侶は「今後困難があったら言ってください。助けてあげますから。今のところは、この大悲呪を唱えれば大丈夫です。」と言いお経を渡した。寛如法師は謹んで両手で承り、大悲呪を世の中に広く伝えさせると発願した。

したがって、僧侶は嬉しげに「今度はポケットサイズのお経をあげましょう。そして与えます。広く世間に告げ知らせるため、今回のことをお経に記録し、大悲呪水で人を助けましょう」と指示した。

ゆえに、それ以来二十年あまり、寛如法師は大悲心陀羅尼を修行し、大悲呪及び大悲呪水で人々を助け始めた。後程中華国際大悲呪水功德会を創立し、大悲菩提法門を推進するのに取り込む。それに、人々のために毎年大悲菩提法会、煙供養や遍瀧三千などのイベントを催行する。

救われた衆生は数知しれない。舎利が継続的に出現するほか、さまざまな儀式も頻繁に現れ、それらは仏陀の力に起因するものである。